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趣味と雑感

人は旅をしたい。帰る場所があるから。

福岡市博多区東雲町の女性税理士・世利です

この数年は旅行もなかなか、という感じでした。
最近は駅の雑踏の中から、普段は耳にしない、
さまざまな言語が聴こえてきます。

どうしても、人は旅をしたい

何故なのでしょう。
昔々、食べものを求めてさまよった記憶でしょうか。
昔々、巨大な敵から逃れて住処を変えた記憶でしょうか。

日常が息苦しくなったら、知らない駅で降りてみる。
曲がったことのない角を曲がり、知らない道を歩いてみる。それも旅だと思います。

そして帰る。
あたたかい自分の住処へ。

 

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お金と時間と体力と、

福岡市博多区東雲町の女性税理士・世利です

新年あけましておめでとうございます
どなたさまにも輝く一年でありますよう
心よりお祈り申し上げます

さて、
お金と時間と体力、この3つが同時にそろえば無敵!
ですが、そううまくはいきません。

それなりに人生が進んだ場合でも、
若い頃→時間も体力もある。お金がない
壮年期から→お金と体力はあるが、仕事盛りで時間がない
中高年以降→お金と時間に余裕が持てても、体力が減退

親譲りの不労所得で、若いときから悠々自適でもない限り、おおむねこういうコースでしょう。

昔から
「金のあるときゃ暇がない、暇のあるときゃ金がない」
と言いますが、何かをしたいならさらに「体力」も必要。

今年はちょっとずつでもこの3つに恵まれて
したいことができるでしょうか。
どうかできますように!

 

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趣味と雑感

ご挨拶とご機嫌な三冊

福岡市博多区東雲町の女性税理士・世利です

長く中断していたブログを再開し、しばらく経ちました。
ご訪問、お読みくださった皆様、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

どなたさまもどうぞ良い年越しをされ、
良い新年をお迎えくださいませ。

年末年始、少しは休むつもりで、再びのご機嫌な三冊
①東海林さだお:貧乏大好き(ビンボー恐るるに足らず)

②伊藤比呂美:道行きや

③高峰秀子:ベストエッセイ

楽しみです!

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家が泣いている

福岡市博多区東雲町の女性税理士・世利です

少しずつ荒れてゆく家の哀しみ。
私の散歩コースには住宅街があります。
新興ではなく、ある程度根付いている感じの家々が
並んでいますが、ポツポツと空き家が増えています。

かつては灯りがこぼれ、笑い声が聞こえたはずの家。
今は窓もドアも閉ざされ、庭は荒れたままです。
いくつもの汚れたプランタ―は、遥かな暮らしの名残り。

家が泣いているようです。
もう誰も住んでくれず、朽ち果ててゆく。
その哀しみに沈んでいるようです。
こういう家々が、日本中いたるところにあるのでしょうね。

ですが荒れていても、庭では草も花も生きています。
多くの昆虫たちも、きっと他の生き物も。
営々と命は続いています。
家よ、泣かんとき!

 

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死が〈数〉で伝えられる惨さ

福岡市博多区東雲町の女性税理士・世利です

事故、事件、疾病、災害、テロ、戦争。
人が亡くなるとき、メディアではもっぱら「数字」を、
大きな見出しとして使います。
数字には具体性があり、インパクトがありますから、
大切なことではあります。

しかし、その内の1は、一人の人。
生まれて、生きて、笑って泣いて喜んで怒って楽しんで、
生きていた一人の人。
家族や恋人がいて、友人や仲間がいた、一人の人。
その現在と未来が、唐突に断ち切られた惨さを思います。

来年は、どうか穏やかな日々になりますように。

 

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わっ、キレる老人!いばりんぼう?

福岡市博多区東雲町の女性税理士・世利です

某公共施設でのできごと。
どう考えても理不尽な言いがかりをつけられました。
相手は男性で、おそらく後期高齢者と思われる方でした。

詳細は控えますが、こちらが『血圧大丈夫かしら?』
と内心危惧するほど、どんどんヒートアップ。
ご自身の言葉でエスカレートしてしまうご様子でした。

だいぶ前から、このような現象について、脳科学等の観点からさまざまに考察されています。
しかし私見ですが、男性の場合は「元・いばりんぼう」が割合に多いからではないでしょうか。

歴史的に、男性のほうが圧倒的に社会的地位・権力を得てきたのは事実ですし「最後に残る欲は権力欲」とも言います。

しかしリタイヤしたら。
もうはや、いばる相手がいません。
家庭でその分をいばったりしたら、居場所をなくします。

私が遭遇した方も『現役の頃はさぞかし、いばりんぼう』とお見受けしました(失礼)

……こういう方って、強い相手にはキレないのでしょうね。もう遭遇しませんように。くわばらくわばら……

 

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自分以外の「主人」

福岡市博多区東雲町の女性税理士・世利です。

自分の主人は自分。
どんなイデオロギー・思想などが相手でも、
ここさえ揺るがなければ大丈夫だと思います。

誰かに何かを丸ごと判断してもらうなら、それは依存。
最終的に自分が決めた、選んだと思いこんでも、
悩み苦しむというつらさを手放せば、
それは主人の座を明け渡したのと同じです。

自分以外の誰かを自分の主人にしてしまったら、
それはもう自分の人生ではなくなってしまう。
苦しんで選び、その結果も受け取める。

生まれ育ち以外は、生きるうえでの喜怒哀楽、
100%自分の領分です。

 

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慣れるという怖ろしさ

福岡市博多区東雲町の女性税理士・世利です。

ヒューマンエラーによる事故。
見聞きするたびに、慣れることの恐ろしさに思い至ります。そしてその誤りは、重複している場合がほとんどです。
誤りがそこかしこで発生している組織・集団。
濁った水の中で何かが発酵し、ブツブツ泡立っている状態。

私の知る限り、その組織・集団で真っ先に腐ったのはトップです。プラス取り巻き。
いったんそういう集団・組織になってしまうと、そこから良き人は離れ、その汚濁に適応できた人だけが残ります。
これ、外部からはなかなか窺い知れないので困りものです。

もしなんらかの違和感を感じたら、
言葉にできないけれど躊躇したら、
自分の直観・経験則を信じて他の選択肢をさがす。
それしかないように思います。

 

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曇りガラスの向こうが見える、ネットの功罪?

福岡市博多区東雲町の女性税理士・世利です。

一般に入手できる情報のほとんどは、どこかの誰かが取捨選択した結果にすぎません。
社会のさまざまなシーンで起きている出来事をしっかり見つめているつもりでも、それは誰かのフィルター越しです。

そういう意味では、見えているようですが、ガラス張りではまったくなく、せいぜい曇りガラス。
それでも、ネット社会以前とは格段に違います。
(なにより、比較検討が容易です)

そして具体的に知ってしまう、自分とはかけ離れた世界。
何故それが自分の手に入らないのか。
何故その世界に自分はいないのか。

渇望が良い方向への誘いになるなら、行動するエネルギーの基です。しかし、妬み・嫉妬という負の感情だけが増大してしまうと、ただただ苦しいだけです。

だとしても、それで七転八倒したとしても、
知らないより、感じないより、はるかに良いと思います。

やはりネットは功!

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鈍麻しない義務

福岡市博多区東雲町の女性税理士・世利です。

公衆衛生、医療の発達、食料の豊富さ。
これらにより肉体の活発さはある程度維持できます。

ところで想像力・共感性・感受性はどうでしょうか。
私も前期高齢者と呼ばれる年齢ですが、
慣れた事柄の繰り返しで漫然と日々を過ごすと、それらは当然に衰えると思っています。

年をとり、さらに社会的地位を得、権力を握った人々の、
浅ましいような鈍感さ。他者への共感性の欠如。

他山の石として自戒せねば、と思います。
老人には「鈍麻しない義務」があるはずです。

生きている限り、傲慢に日々を過ごしてはならない。
謙虚に一歩、一歩。
足らざる自分に向かい合おうと思います。

 

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